ドイツへの移住、クン政権の崩壊
第一次世界大戦期にルカーチはドイツで教鞭を執っていたが、戦争に熱を上げるドイツ知識人の姿を目にして次第に思想を左派的な方向に転換していく。1915年から1916年にかけてルカーチはブダペストに予備兵として召集され、小さな集団が形成された。ルカーチと彼の知人である著作家バラージ・ベーラを中心としてグループの輪は広がり、「精神科学自由学院」と呼ばれる一派が形成された。マンハイム・カーロイ、ハウゼル・アルノルドらの自由学院出身者は後に国際舞台で活躍するが、ルカーチ自身は自由学院の影響力を高く評価する意見に懐疑的で、少なくとも自由学院は自身の思想に影響を及ぼさなかったと述べた。第一次世界大戦、ロシア革命はルカーチに大きな衝撃を与え、彼をマルクス主義者に転換させた。
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