上海天長節爆弾事件
1932年4月29日、上海の虹口公園で行われた天長節祝賀会の際に朝鮮人テロリスト尹奉吉が放った弁当箱爆弾により重傷を負う。海軍軍楽隊の演奏で一同君が代を斉唱している最中の出来事だった。この事件では、他に上海日本人居留民団行政委員長で医師の河端貞次が死亡し、第9師団長植田謙吉中将・第3艦隊司令長官野村吉三郎海軍中将・在上海公使重光葵・在上海総領事村井倉松・上海日本人居留民団書記長友野盛が重傷を負っている。重光公使は右脚を失い、野村中将は隻眼となった。犯人の尹はその場で検挙され軍法会議を経て銃殺刑となるが、後年韓国政府は尹を独立運動の義士として勲章を贈っている。白川大将はテロ予防の為この会場への道中数度に亘り車のナンバープレートを交換していたと言う。また、全身に108ヶ所の傷を負いながらも、たじろぐことなく収拾の指揮に当たっていた、と現場に居合わせた軍医の宮村秀雄が証言している。
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