独ソ戦
1939年のポーランド侵攻では第4軍司令官として参戦し、続く冬戦争では第9軍司令官を務めたが、スオムッサルミの戦いでフィンランド軍に敗北している。戦後の1940年12月に第4軍司令官に任命された後、在華ソビエト軍事顧問団の一員として中華民国に赴任し、1942年5月に帰国。同年6月に中将に昇進し、第64軍司令官に就任した。9月10日には第62軍司令官に就任し、スターリングラード攻防戦でゲリラ戦を展開しドイツ国防軍を降伏に追い込んだ。前述の通り、この戦闘では敵が潜む可能性のある部屋に手榴弾を投げ入れ、爆発直後に自動小銃を構えて突入し、粉塵の中を手当たり次第に乱射して制圧し、さらに次の部屋の制圧に向かうという後にCQBと呼ばれる室内戦においての効果的な戦術を編み出し戦後には様々な国の特殊部隊での模範となった。
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