第二次世界大戦・再び南米へ
第二次世界大戦から、1941年12月7日の日米開戦と同時に、敵国人してアメリカ官憲により逮捕、バルボア収容所に収容される。パナマ運河を租借するアメリカはここを軍事的・経済的要衝とみており、パナマに在住する日本人は総じてスパイ疑惑がかけられることとなったのである。天野の資産は没収され、アメリカオクラホマ州フォート・シル収容所、ルイジアナ州リビングストン収容所を経て1942年6月14日にニューヨークに移送され、日本とアメリカの残留者を互いに交換する交換船に乗せられた。交換船の中継地であるポルトガル領ロレンソ・マルケスを経て1942年8月に帰国し、藤沢市鵠沼に住んだ。翌年、二番目の夫人が病没し、二人の子どもを養育することになった。
コメント
コメントを投稿