洋式兵学者としての業績
1855年より勝海舟の門人として長崎海軍伝習所に赴く。長崎で最新式のミエニー銃の性能を知り、新銃が戦闘方法も一変させると考え、関心は海軍から陸軍に移っていった。1857年にはオランダ語の原書から新式のミエニー銃の性能を詳述した『新銃射放論』を、1858年にはオランダ陸軍の銃の使い方の教則である『矢ごろのかね 小銃彀率』を、それぞれ翻訳出版している。当初は勝海舟の従者として活動していたが、途中で勝のもとを離れ、1858年からは第3期伝習生として長崎入りしていた旗本の小笠原鐘次郎に従って騎兵学を学んでいる。
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