老中就任
一方、幕府は西洋通の崇広を1863年4月23日に寺社奉行に起用し、その後、1864年7月7日老中格兼陸海軍総奉行になり、同年11月10日老中に抜擢した。また同年11月19日、天領となっていた松前西在の乙部より熊石までの8ヵ村の還付を受けた。手当金700両が削減された。1865年5月には第二次長州征討に家茂の供をして京都、ついで大坂に至り、9月に陸軍兼海軍総裁となった。当時、幕府は英・米・仏・蘭の4ヶ国と兵庫開港、大坂の市場開放開放を内容とする条約を締結したが、朝廷から勅許が得られず、条約内容が履行されない事態だった。4ヶ国は軍艦を率いて兵庫に進出、兵庫開港を要求した。
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