セルビア民族主義を鼓吹
彼は1974年のユーゴスラビア連邦憲法が共和国や自治州の権限を拡大しすぎたために連邦の結束が弱体化したと考え、セルビア人主体の連邦体制を維持するために憲法改正を目指した。それに反発したアルバニア系のムスリムの多いコソボ自治州で、セルビア人に対する迫害事件が生じると、その自治権を制限して独立運動を厳しく弾圧、セルビア人の保護を実行したのでセルビアでは高い人気を獲得した。その後、民族主義傾向を強め党内の穏健派、民主派を弾圧して権力を握り、その「大セルビア主義」はクロアチア人やムスリム人を刺激し、1991~2年のセルビアとモンテネグロ以外の4国の独立宣言の要因となった。ユーゴスラビア内戦およびボスニア内戦でもミロシェヴィッチはセルビア大統領、さらに新ユーゴの大統領として強硬路線を続け、クロアチアやボスニアのセルビア人勢力を支援した。
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