太平洋戦争
1941年に支那派遣軍総司令官となり在職中の7月に、ドイツ軍の対ソ攻勢に呼応して関東軍特種演習が発動されて対ソ戦が企図されると、畑は野田謙吾総参謀副長及び松谷誠参謀を参謀本部に派遣し、「目下は鋭意支那事変解決に専念の要あり」と具申させ、対ソ戦発動中止の一因を作った。また、太平洋戦争の開戦に際しても、土橋勇逸総参謀副長と松谷参謀を再度参謀本部に派遣し、前回同様支那事変解決を優先すべきと意見具申したが、塚田攻参謀次長より「支那事変解決のためには米英の対蒋援助を遮断する必要がある」と反論され、具申は通らなかった。1944年に元帥となる。畑は日本陸海軍で最後に元帥府に列された軍人となった。
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