忠犬ハチ公の飼い主
1899年、政府は「耕地整理法」を制定し、その翌年より耕地整理事業が着工されることになったが、当時は農業土木学の専門技術者が皆無の状態で、農業土木を研究していた唯一の学者が上野であった。そこで、上野は耕地整理の研究を進めながら、各地へ出かけて講演や技術指導を続けた。また、1905年には農商務省委託の農業土木技術員養成官の任務に就き、その後20年間に亙って3,000人を越える技術者の育成に努めた。上野から指導を受けた技術者は、1923年の関東大震災後の帝都復興事業において重要な役割を占めた。
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