正義のスルタン
ドゼーの当初の成功は翌1797年、ナポレオンが締結したレオーベン条約によって遮られた形となった。ドゼーはボナパルト将軍に会うために自ら画策してイタリア方面に転属した。かくしてナポレオンは、何の対価も支払うことなく、ライバルであるドイツ方面軍から才能のある若き将軍えを得ることとなった。ドゼーは一旦「イギリス方面軍」の司令官に仮任命されたが、すぐにナポレオンによってエジプト遠征軍に異動させられた。ピラミッドの戦いにおいてマムルーク軍の正面に立ちふさがったのはドゼーの師団であり、その後の上エジプトにおけるムラード・ベイへの勝利によってその評価はさらに上がった。ドゼーはその公平な統治によって、現地の農民たちから「正義のスルタン」という光栄ある呼び名を得た。
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