小田原征伐
後には豊臣秀吉に従い、1590年には小田原征伐に参陣して所領を安堵させた。晴朝は秀吉に臣従した頃より秀吉との結びつきを求めて水谷勝俊を通じて養子縁組を願い出ており、秀吉が養子としていた徳川家康の次男・秀康に養女・鶴子を嫁がせて養嗣子として迎え、秀康に家督を譲ると隠居する。ただし、市村高男の研究によれば、この時の晴朝は既に隠居して一度朝勝に家督を譲っていたと考えられ、実際に1587年初めから1590年4月まで、結城氏の知行・官途・受領名に関する文書に晴朝の花押が確認できないとされている。1590年5月に晴朝が北条方についた小山秀興の小山城と榎木城を奪い、朝勝が実兄・宇都宮国綱と共に秀吉の下に参陣しているため、この時期には晴朝が結城氏当主に一時的に復帰して、朝勝は実家の宇都宮家に戻っている。
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