惟政とキリスト教
惟政はキリスト教を自領内において手厚く保護したことが、『フロイス日本史』に詳細に書かれている。フロイスが織田信長と会見するときに仲介役を務めたほか、教会に兵を宿泊させないよう他の武士たちに働きかけたり、内裏が伴天連追放の綸旨を出すとそれを撤回させようとしたり、宣教師をむりやりにでも自分の上座に座らせたりと、大変な熱意だったようである。畿内におけるキリスト教の布教にも積極的に協力した。しかし、惟政自身は洗礼の儀式を受ける前に戦死したために、その死をフロイスは大変嘆いた。なお、キリスト教と出会う前は禅宗に属していたといわれる。墓所は大阪府高槻市の伊勢寺。享保年間に高槻城を改修したときに墓石が発見され、移されたといわれている。
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