シャネルでの復活劇
創業者ココ・シャネルが1971年に亡くなって以降ブランドとしてのシャネルは低迷していた。「シャネルは墓に戻る」とまで言われた経営状態を立て直すためにカールにデザイナー職のオファーがなされたが、その当時、低迷したブランドを再興するという考えは一般的ではなく、カールは多くの友人からその契約を結ぶべきではないと忠告された。結局シャネルからの2度目のオファーをうけたカールは、83年のオートクチュール、続く84年からはプレタポルテと協業を開始。結果としてコレクションは高い評価を得て、なおかつ販売・話題性も回復した。こうしたシャネルとカールの関係は、彼が亡くなるときまであり、後任には長年カールの右腕でとして働いてきたヴィルジニー・ヴィアールが即座に就任した。
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