アフガニスタンへ赴任
この間、1678年12月にマールワール王国の君主ジャスワント・シングが継嗣なく死亡すると、アウラングゼーブはその王国をただちに併合した。また、1679年4月には異教徒に課せられるジズヤを復活したため、その年の7月には一部にラージプートらが反乱を起こした。ラーム・シングは他のラージプートらが反乱を起こしているにもかかわらず、帝国に忠誠を誓い、アフガニスタンの辺境にとどまっていた。一方、彼の息子のキシャン・シングはアウラングゼーブのデカン戦争に従軍していたが、1682年4月11日に殺害されてしまった。
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