経歴~第二次マケドニア戦争~
レピドゥスに関する最初の記録は紀元前201年にさかのぼる。この年、元老院は元ケンソルのガイウス・クラウディウス・ネロとプブリウス・センプロニウス・トゥディタヌスをプトレマイオス朝エジプトに派遣しているが、レピドゥスもその一員であった。この使節団の公式の目的は、同盟国であるエジプトのプトレマイオス5世に第二次ポエニ戦争の勝利を報告することであったが、非公式の目的はマケドニアとの戦争が起こった場合のエジプトの支援を得ることであった。マケドニアのピリッポス5世はこのときペルガモンとロドスとの戦争を行っており、ローマはすでに最後通牒を送っていた。使節団がエジプトから戻ったときには、ピリッポス5世は重要な都市であるアビドスを包囲していた。レピドゥスはピリッポスの言い分を聞くために派遣された。リウィウスとポリュビオスによると、レピドゥスはピリッポスに対して何故戦争を開始したのかと厳しく問い詰めた。対してピリッポスは「もしローマがマケドニアを攻撃するつもりなら、高い代償を払うことになるだろう」と返答した。結果として第二次マケドニア戦争が勃発する。
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