戦後の活躍
1949年10月、日米親善使節として渡米。ベティ・デイヴィス、シルヴィア・シドニーらと出会い、ジョーン・クロフォードの撮影などを見学して、翌1950年1月19日に帰国した。出発時は豪華な古代ものを使った小袖姿だったが、帰国時は茶と白のアフタヌーンドレスと毛皮のハーフコート、緑のサングラスにハワイ土産のレイをまとって登場。報道陣らには「ハロー」と一声発し、銀座のパレードで投げキッスを連発。この姿と行為で渡米を後援した毎日新聞社を除くメディアから「アメリカかぶれ」と叩かれ、一部のメディアからは「アメション女優」などと形容された。「銃後を守る気丈な日本女性」のイメージを確立していた国民的女優の突然の変身に、敗戦に打ちひしがれ貧困の状態にあった国民は戸惑い、同時に憤りをかきたてることになり、それ以降自殺を考えるほどのスランプに陥った。
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