琉球碁士の来訪
薩摩藩支配下にあった琉球から1682年に幕府への使節団が贈られ、この中に琉球第一の名手とされる親雲上濱比賀が含まれていた。濱比賀は道策の名声を聞き及び、島津光久を通じて手合を申し込んだ。道策はこれを受けて島津藩邸にて対戦する。かつて本因坊算砂が朝鮮人李約史を三子で破った例があったが、道策は四子の手合割を指定、道策はこの碁に14目勝ちを収める。濱比賀はもう一局を求め、今度は濱比賀2目勝となった。その後濱比賀は免状の発行を望み、道策は「上手に二子」すなわち三段の力を認める免状を与えた。島津公よりこれへの謝礼として、白銀70枚、巻物20枚、泡盛2壷を、濱比賀からは白銀10枚を贈られたという。
コメント
コメントを投稿