功績~野火止用水開削~
松平信綱は水利に乏しかった川越領野火止の開発に玉川上水からの分水を計画し、その工事を安松金右衛門に命じた。命を受けた金右衛門は、1655年2月、玉川上水の途中多摩郡小川村から取水した新座村を抜けて新河岸川まで6里を掘り通し、同年3月、わずか40日という短工期で野火止用水を完成させた。これにより野火止200石の地は2千石を産するようになり、金右衛門は信綱から家禄200石に加増された。夜間も提灯などを用いて用水の開通にこぎつけ、玉川上水からの通水が始まったものの、当初は用水上流附近までしか水が流れなかった。これは設計や工事ミスによるものではなく、元来水運に恵まれていなかった地域への通水であった為、土中への水の「吸収」によるものであった。金右衛門は当初からこのような事態を予め想定していた。その後、大雨が降った翌日以降、用水を流れる水を見た農民たちは大喜びしたという。
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