シオニズム運動の開始
ヘルツルは1896年には『ユダヤ国家』という小冊子を書き、ユダヤ人国家建設の道筋を示したが、ここで示されたユダヤ人の手によるユダヤ人の国家建設、という主張をシオニズムといい、ヘルツルはその指導者となった。1897年スイスのバーゼルで初のシオニスト会議を開催、ヘルツルを議長とする世界シオニスト機構が生まれた。ヘルツルはオスマン帝国のスルタンに直接働きかけるなど活動を続けたが、過労から肺炎を起こし44歳で死去した。彼の狙いはすぐには実現しなかったけれども究極的にはイスラエル国家の建設に通じることとなった。現在もイスラエルでは「建国の父」と仰がれ、イェルサレムを見下ろすヘルツル山と呼ばれる小高い丘に眠っている。
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