借款問題
モザッファロッディーンがイランの国政に参画するころには、イラン自体が財政危機に直面していた。国庫の歳入を支出のほうがはるかに上回っていた。一方で、ガージャール朝がこれまでに積み上げてきた負債はイギリスとロシア両国に起因しているものも多かったが、モザッファロッディーンは再びロシアに借款を申し出ることとなった。タバコ・ボイコット運動以降、イラン国内で政治的関心が高まっていたが、1901年にイランのマスジェデ・ソレイマーンで石油が発見されると、ウィリアム・ダーシーに与えられた60年間のダーシー利権を巡って再び関心が高める結果を招いた。1907年の英露協商で両国間でイランの勢力範囲が定められた。ダーシー利権に基づいて1908年にはアングロ・ペルシャン石油会社が設立された。
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