明治以降~廻米問屋~
1873年栄一の推薦を得て小野組に入るが、翌年小野組が破綻。1875年深川に居を構え、自ら渋沢商店を開業。貢租の金納化により混乱していた米穀物流の再編に栄一と協力して取り組む。主に小野組が商圏としていた上信奥羽の米産地から東京への廻米、委託販売を行うほか、荷為替決済や運送保険の制度創設にも取り組んだ。1878年栄一の東京商法会議所設立には発起人として参加。1881年には米相場急落で損失を被るが、栄一の援助を得て凌ぐこととなる。1882年栄一の深川・横浜での日本最初の倉庫会社創設にも協力するが、1883年には、栄一の勧めで家督を長男の作太郎に譲り、長男作太郎を渋沢商店店主とする。後の1897年栄一が深川自邸倉庫を中心に澁澤倉庫部を創業する際に、作太郎は渋沢商店の深川にあった倉庫を現物出資して協力し、業務は横浜での生糸商に集中する事となる。
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