蝦夷共和国
直弼没後の1862年、京都町奉行として復帰し、1864年には大目付となる。1863年の八月十八日の政変、1864年7月19日の禁門の変では幕府側の使者として朝廷と交渉するなど、交渉能力で手腕を発揮した。1867年には若年寄にまで出世する。大政奉還においても交渉能力を発揮した。鳥羽・伏見の戦い後は慶喜に従って江戸へ戻り、徳川家の駿府転封が決まった後は榎本武揚と行動を共にして蝦夷地へ渡り、「蝦夷共和国」の箱館奉行に就任した。しかし、旧幕府軍は半年あまりの戦いの末、1869年5月に降伏した。新選組隊士の田村銀之助が1920年に史談会で語ったところによれば、最初に降伏したのが弁天台場の守備に当っていた永井らで、降伏後は五稜郭の榎本らにも頻りに降伏の勧誘を行っていたという。
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