ラグナート・ラーオの廃位
ラグナート・ラーオの犯行であることは明らかだったが、証拠がなかったため、10月10日に彼がナーラーヤン・ラーオの跡を継いで同盟の宰相となった。だが、大臣の一人ナーナー・ファドナヴィースは事件の徹底究明に努め、ラグナート・ラーオとその妃アーナンディー・バーイーおよび実行犯と思われたシュメール・シング・ガールディーの調査を行った。そうしたなか、1774年4月18日にナーラーヤン・ラーオの未亡人が息子マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤンを生んだため、ラグナート・ラーオは廃位され、この幼児が宰相位につけられた。
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