花倉の乱
1536年に彦五郎、氏輝が相次いで死去すると、寿桂尼は、出家して栴岳承芳と名乗っていた実子・義元を還俗させ、側室の子である玄広恵探との間で家督争いが起こる。『高白斎記』の記述にある「同心シテ」という文と、次男・彦五郎の死の真相の解釈を巡って、この乱において寿桂尼は実子である義元の側でなく、玄広恵探に与していたという説もある。更にそもそも義元も寿桂尼の実子ではなく側室の子であるとする新説も出されている。乱を制し、家督を継いだ義元が1560年に桶狭間の戦いで織田信長に破れて戦死し、孫の氏真が当主となった後も政治に関わっている。
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