松平氏の家臣
また、1575年の長篠の戦いにおいても弟の忠佐、与力の成瀬正一、日下部定好と共に活躍して織田信長から「良き膏薬のごとし、敵について離れぬ膏薬侍なり」との賞賛を受け、家康からはほら貝を与えられた。同年12月、家康から二俣城の城主に命じられた。忠世は武田氏の来襲に備えて城の改修を行ったが、現在二俣城跡に残る天守台や、二俣城の向かいに築いた鳥羽山城の庭園などは忠世によるものと考えられている。また、1582年6月の本能寺の変後に家康が甲斐・信濃に勢力を広げると、忠世は信州惣奉行として小諸城に在番、依田康国の監視を務めている。1585年の上田合戦にも鳥居元忠・平岩親吉と共に参戦しているが、真田昌幸の前に敗れている。家康に反抗して追放となった本多正信の帰参を助けたり、井伊直政をたしなめたりしている。
コメント
コメントを投稿