豊臣政権による小田原征伐
11月28日、豊臣政権は関東小田原の北条氏を追討することを決定し、関東・東北の諸侯に自軍への参加を求めた。相馬氏にも石田三成より、翌月の上旬に出仕を求める書状が届く。12月20日、政宗は中島宗久あての書状の中で、来春の相馬攻めのことを告げた。1590年1月3日、これより先に義胤は中島宗久の仲介で伊達との和議を請うが、これは難航した。同日、政宗は中島氏当ての書状を送り、相馬の様子を探らせた。相馬は岩城と伊達の和睦を知り、一方で単独では伊達への抵抗が難しいことを悟ったが、伊達氏の方略は北条と結んで佐竹を屈服させ、さらに豊臣氏に対抗するところにあった。1月20日、秀吉は政宗に書を送り、小田原への参陣を命じた。
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