マーディア十字軍
1356年、父がポワティエの戦いで戦死したため、ブルボン公を継承した。しかし1360年にイングランド軍に捕らえられ、1366年まで6年間捕虜になっていて、領土がイングランドに侵略されていたため、解放後は領内の貴族と協力してイングランド軍の排除に取り掛かり、同時にフランスの人事権を掌握し近隣の貴族や有能な人材を抜擢して王国やブルボン公領の重要な地位に付け、中央政府に勢力を伸ばしていった。領土拡大も図り軍事行動も盛んに行い、1371年にフォレ女伯アンヌと結婚し1374年にフォレを併合、翌1375年には義弟シャルル5世の命令でベリー公ジャン1世と共にイングランドから領土回復のためブルボン公領の南隣のオーヴェルニュへ遠征、1382年にフランドルの都市反乱の鎮圧へ向かいローゼヘーケの戦いに参戦、1385年にギュイエンヌ遠征、1390年には十字軍を掲げチュニジアまで渡っている。
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