外遊
東洋汽船会社の香港丸で横浜を出帆し、メキシコの日本公使館に在ること1年。この頃、肺結核を患う。父の後妻がベルギー人で、家庭の通用語がフランス語だったためフランス語の習得に没頭し、パルナシアンの詩を読み始める。この時、メキシコ革命に遭遇。マデロ大統領失脚、謀殺までの『悲劇の二週間』を体験する。1913年にシベリア経由でベルギーに向かい、ランボーをピストルで撃ったヴェルレーヌの事件を担当した裁判官シャルル・リグール家に住み、10月には当時の日銀・水町袈裟六の斡旋でベルギー国立銀行に日本銀行の委託研究生として勤務し、異例の待遇を受けた。
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