太平洋戦争
太平洋戦争開戦時には重巡洋艦「妙高」、「那智」、「羽黒」からなる第五戦隊の司令官として南方攻略作戦に参加。1942年2月、スラバヤ沖海戦における日本側艦隊指揮官。海戦には勝利したが消極的な遠距離戦に固執したことから批判を受ける。同年5月、海軍中将へ昇任。5月7日、史上初の航空母艦同士の海戦である珊瑚海海戦において第四戦隊司令長官井上成美中将のもと、第五戦隊、原忠一少将率いる第五航空戦隊などからなる機動部隊を指揮した。高木中将は味方戦力の消耗激しく第2次攻撃の命令を独断で黙殺した。当時、内地にあって戦闘経過を見守っていた連合艦隊司令部では「コノ際極力敵ノ殲滅ニ努ムベシ」と叱咤した。アメリカの戦史家ジョン・トーランドは珊瑚海海戦のとき、高木提督が空母同士の交戦を一時中止して北上し、索敵機を飛ばす海域を絞り込んで、翌日再攻撃に移った戦術を「日本海軍には珍しく合理主義的な提督だ」と評している。同年6月、ミッドウェー海戦参加。8月、ソロモン方面進出、10月15日、ガダルカナル島・ヘンダーソン基地砲撃。さらに南太平洋海戦にも参加した。
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