アメリカ合衆国内務長官
リンカーンは大統領選挙におけるスミスの貢献を評価し、リンカーンが大統領に就任した1861年、スミスを内務長官に任命した。スミスはインディアナ州民として初の閣僚職を獲得した。だがスミスは職務にほとんど興味を持たず、健康的問題を理由として内務次官補ジョン・パーマー・アッシャーに大部分の権限と責任を委任した。1862年、スミスはジョン・アーチボルド・キャンベルの辞職によって空席となっていた連邦最高裁判所のポストに関心を示していた。だがリンカーン大統領はそのポストにデイヴィッド・デイヴィスを据えた。スミスは1862年12月に内務長官を辞職し、後任にはジョン・パーマー・アッシャーが就いた。スミスはインディアナ州に帰郷し、連邦地方裁判所判事となった。
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