側近、奉行衆として
以降は信玄側近・奉行衆としての活動が見られ、1568年初めには土屋姓への改姓が確認される。同年末の今川領国への侵攻に際しては、信玄側近として戦時禁制や朱印状奏者を独占的に務めており、駿河富士山本宮浅間大社や岡部氏、朝倉氏、狩野氏、松木氏など駿河国衆との取次を務めている。西上野侵攻おいて領国化されていた西上野においては、跡部勝資、原昌胤、曽根虎長とともに上野国衆との取次を務め、昌続は浦野氏や和田氏を担当している。また、信濃領国においては玉井氏、市川氏、海野氏ら東信国衆との取次を担当している。また、対外的には太田氏や梶原氏、里見氏など関東方面の外交を担当している。
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