成氏との対立
ところが、足利持氏の遺児・永寿王丸を新しい鎌倉公方に擁立する動きが清方の後を継いだ越後守護・上杉房朝や関東諸将の間で起き、室町幕府もこれを容認した。1447年、永寿王丸と憲忠は鎌倉に入って憲忠が関東管領に任命され、2年後の1449年に元服して従五位下左馬頭に任命された永寿王丸は8代将軍・足利義成の一字を拝領して「足利成氏」と名乗って正式に第5代鎌倉公方に就任した。だが、成氏が永享の乱・結城合戦で鎌倉公方家に殉じた武将の遺児達を側近として登用するようになると、上杉氏やその家臣団の反発も高まっていた。
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