ヒマラヤ探検
1847年11月にフッカーは3年に及ぶことになるヒマラヤ探検のためにイギリスを出発した。彼はヒマラヤで植物を採集した初めてヨーロッパ人であった。シドン号でナイル川をすすみ、スエズまでは陸路で旅した。1848年1月にカルカッタに着き、ミザプールまでは象で、シリグリまではガンジス川をボートで、そしてポニーで陸路を通って1848年4月にダージリンに到達した。フッカーの探検はダージリンの博物学者ブライアン・ホジソンの家を拠点に行われた。ホジソンを通して東インド会社の代表アーチバルト・キャンベルと会い、シッキムへの入域を協議した。また地元にチャールズ・バーンズとともに大Rangeet川、Rangeet川とTeesta川の合流地点、桐廬山、ネパールとの国境に近いシンガリラ地域などを探査した。1850年3月にダージリンを出発し、Churraに11月まで滞在し研究の拠点を創設した後、イングランドへの帰途についた。彼の探検は『ヒマラヤン・ジャーナルズ』として後に公刊された。
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