オルレアン包囲戦前後
しかし、5月にジャンヌ・ダルクが包囲網を破り、イングランド軍がオルレアンから撤退するとその救援をベッドフォード公から命じられ、再びパリから南下して包囲網の司令官だったサフォーク伯とジョン・タルボット、トーマス・スケールズらと合流しようとした。だが、勢いに乗るフランス軍に6月18日のパテーの戦いで打ち破られ、タルボットとスケールズが捕らえられる中、残存兵を纏めて戦場から退却した。戦後はこの対応が問題視されベッドフォード公からガーター勲章を剥奪される、1433年に捕虜から解放されたタルボットから非難されるなど逆風にさらされたが、やがてベッドフォード公からの信頼を回復、カーンの総督に任命されたり、1435年にアラスで開催されたフランス・イングランド・ブルゴーニュの講和会議にベッドフォード公の使節として派遣され、同年にベッドフォード公が死去すると遺言執行人も任されている。
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