短身王
ヴワディスワフは国外への亡命を余儀なくされていたが、ボヘミア王によるポーランド支配はうまく行かず、さらにヴァーツラフ2世と息子ヴァーツラフ3世の相次ぐ急死でボヘミアは混乱状態に陥った。一方のヴワディスワフは1305年に帰国し、自身の支持者達の軍勢を引き連れてマウォポルスカを占領した。15世紀の歴史家ヤン・ドゥゴシュによれば、ヴワディスワフの軍勢は騎士ではなく農民が主体になっていた。またヴワディスワフはグダニスクを中心にポメレリアをも征服したが、在地の領主やブランデンブルクから移住してきたドイツ人達の支持を得ることができず、バルト海沿岸に対する支配をあきらめせざるを得なくなった。
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