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曇徴(生没年不詳)

高句麗の僧
近年まで、製紙の記述がここにおいて初出するという理由から、一般に曇徴は日本における製紙の創業者とみなされてきた。しかし、仮に曇徴によって初めてもたらされたのなら、碾磑の場合と同様にそう記されていたはずであるとして、寿岳文章はその著書『日本の紙』の中で、諸文献を精査した上で、この記述は僧侶でありながら、儒学にも通じ、工芸面にも暗くなかった曇徴への讃辞であり、彼が絵具や紙墨を初めて作ったという意味に解するよりも、その製作にかけてはなかなかの達人であった、と取るのが妥当であるとしている。戸籍用紙などの多くの紙を必要とする国家機構の整備が、この時代にはすでに始まっていたことも、曇徴以前に製紙技術が伝わっていた可能性を支持している。

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エイブラハム・ダービー1世(1678~1717)

ダービー父子~父、ダービー1世~ 父のダービーはブルストルで鋳物製造を行っていたが、砂型鋳物製造の特許を取り、事業を安定させ、1709年に石炭をコークス化して燃料として用い、鉄鉱石を熔解する高炉を成功させた。コークスは石炭を蒸し焼きにしてつくり、香炉の中で鉄鉱石と一緒に入れて燃やすと、不純物を除去することができる。また高炉はつねに高温を保たなければならないが、そのために従来は「ふいご」が使われていたがダービーは送風シリンダーを考案し、その問題も解決した。こうして本格的な製鉄業を興し、鍋などの生活用具からニューコメンの蒸気機関用の部品まで製造し、事業を成功させた。

北原遥子(1961~1985)

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