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フェリペ3世(1578~1621)

慶長遣欧使節~背景と目的~
これより先、「天下人」・豊臣秀吉はキリシタンに対して厳禁の態度で臨んだが、秀吉の次に「天下人」になった徳川家康は貿易の利益に着目して禁令を緩めた。こうした中、1609年、「太陽の沈まない帝国」と謳われた「世界最大の植民地保有国」であるスペイン王国の植民地の一つ、前フィリピン総督ドン・ロドリゴとキリスト教ローマ・カトリックのイエズス会の宣教師であるスペイン、セビリア市の貴族、ルイス・ソテロが乗ったサン・フランシスコ号が上総国岩和田村に漂着するという事件が発生した。翌1610年、「天下人」徳川家康は前フィリピン総督ロドリゴの代理人であるルイス・ソテロと交渉をして、日本とスペインの通商を約束した。1611年、徳川家康はフィリピンの前総督ロドリゴと、病気になったルイス・ソテロの代わりのスペインの使節としてアロンソ・ムニョスを、および家康の代理人である京都の商人・田中勝介を、フィリピンと同じスペインの植民地の一つであるメキシコへ送り届けた。しかし、家康は外交顧問であるウィリアム・アダムスから、カトリックの布教を許せばスペインがそれをてこにして日本を植民地にしかねないという進言を受け、スペインと通商条約の締結をしなかった。同1611年4月、スペイン国王フェリペ3世は徳川家康が前フィリピン総督ロドリゴらをメキシコまで送り届けてくれたお礼として、スペイン提督セバスティアン・ビスカイノのを答礼使として、スペインの軍艦に田中勝介を乗せて日本へ送り届けた。

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ベルンハルト・リーマン(1826~1866)

リーマン面 数学、特に複素解析においてリーマン面とは、連結な複素1次元の複素多様体のことである。ベルンハルト・リーマンにちなんで名付けられた。リーマン面は、複素平面を変形したものと考えられる。各点の近くで局所的には、複素平面の部分に似ているが、大域的位相は大きく異なり得る。例えば、球面、トーラス、または互いに糊付けした二枚の面のように見え得る。

エイブラハム・ダービー1世(1678~1717)

ダービー父子~父、ダービー1世~ 父のダービーはブルストルで鋳物製造を行っていたが、砂型鋳物製造の特許を取り、事業を安定させ、1709年に石炭をコークス化して燃料として用い、鉄鉱石を熔解する高炉を成功させた。コークスは石炭を蒸し焼きにしてつくり、香炉の中で鉄鉱石と一緒に入れて燃やすと、不純物を除去することができる。また高炉はつねに高温を保たなければならないが、そのために従来は「ふいご」が使われていたがダービーは送風シリンダーを考案し、その問題も解決した。こうして本格的な製鉄業を興し、鍋などの生活用具からニューコメンの蒸気機関用の部品まで製造し、事業を成功させた。

度会家行(1256~1351)

伊勢神道 鎌倉時代末期に、それまでの両部神道や山王神道などの本地垂迹説とは逆に、反本地垂迹説が勃興するようになり、その影響で、伊勢神宮の外宮の神官である度会家行によって、伊勢神道が唱えられた。伊勢神道は、『神道五部書』を根本経典とする。また、儒教・道教思想の要素も含まれた最初の神道理論とされる。伊勢神道は、元寇により日本が神国であると再認識し、日本における唯一絶対の宗教は神道であるとする勢力から支持され発展した。日本書紀によると、倭姫命は11代垂仁天皇の皇女で、天照大神の御杖代として各地を巡行し、伊勢の地で神宮を創祀した。「神道五部書」と呼ばれる伊勢神道の根本史料の一つ『倭姫命世記』に、度会郡を中心とする倭姫命の足跡が数多く記されている。