大坂の陣
1614年の大坂冬の陣では池田忠継ら西国の大名と共に行軍し参加。中之島を経由して今橋付近に陣取った。しかしながら11月27日に小姓数人を引き連れて大坂城に接近するも感づかれ発砲され、軍監の城昌茂が制止して陣に戻されるという事を起こす。これにより城は軍法に背いたとして森軍に静止命令を出した。この命令は11月29日の博労淵の戦いの最中にあっても解かれなかった為に森軍は天満川を渡らず傍観に徹した。翌30日、幕府の上使である水野勝成が前日の戦いでの森軍の有様を叱責しに現れたが忠政は「軍監の命に従ったまで」と説明した。結局のところ、水野は眼前で戦いが行われているのにも関わらず静止を解かなかった城の側を罪に問い、城は軍監を罷免され代わりに水野が軍監として忠政と後の戦いに同行している。翌1615年の大坂夏の陣にも参戦。森軍は208の首級を挙げ、特に森可春は大坂方の布施屋飛騨守を討つなど活躍した。
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