大名への立身
1583年、賤ヶ岳の戦いでは、武則は「金の角取紙のエヅルの指物」の出立ちで、佐久間盛政配下の宿屋七左衛門と槍を合わせた。宿屋七左衛門は烏打坂の南に踏みとどまって桜井佐吉家一と戦っていたが、佐吉が宿屋に斬りつけられたところへ武則が突進して佐吉を助け、七左衛門が槍を突き出したところで武則が一槍で突き殺したという。こうして、秀吉の面前の西の切り通し付近で奮戦して武功を立てた武則は、福島正則や加藤清正らと共に一番槍の賞詞が6月5日に渡され、8月1日、播磨国加古郡に2,000石、河内国河内郡に1,000石など合わせて3,000石余を拝領した。
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