四条隆資(1292~1352) 9月 19, 2020 男山の戦い1351年、足利尊氏とその弟・直義との確執が深刻となると、尊氏は一時南朝側に降って直義討伐のために鎌倉に出陣した。この隙を突いて翌1352年に南朝軍は京都を占領した。後は男山の仮御所にいる後村上天皇を京都に迎えるだけとなったが、その年の3月には尊氏の嫡男・義詮の反撃によって南朝軍は京都を撤退、更に5月には後村上天皇がいる男山の仮御所が包囲された。5月10日、天皇は北畠顕能・名和長重に護られて男山を脱出する途中に足利軍と遭遇、殿を務めた隆資は奮戦空しく討ち死にした。 共有 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 共有 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
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