クロアチア民主同盟~トゥジマン大統領時代~
トゥジマン政権はセルビア人を公職から追放し、反セルビアのキャンペーンを推し進めた。党はクロアチアの独立を強く支持する立場をとったため、クロアチアの独立に反対し、ユーゴスラビア連邦への残留を望む同国のセルビア人少数民族からは嫌悪されていた。このことは、セルビア人がクロアチアからの分離とクライナ・セルビア人共和国の創設、その後のクロアチア紛争の一因となった。これらの動きに対するクロアチア民主同盟の行動には賛否両論あり、クロアチア紛争初期の頃の党の政策を過激な民族主義とみなし、暴力を増大させる一因となったとする見方がある一方で、クロアチア民主同盟はセルビアやユーゴスラビア人民軍に懐柔されており、そのためにクロアチアがとるべき防衛行動は十分ではなかったとする見方もある。トゥジマンやクロアチア民主同盟の政策は状況に応じて変動しており、党の政策を論ずるにあたってはその時々の社会的、政治的、経済的、軍事的情勢を考慮する必要がある。
コメント
コメントを投稿