1907年-09年、「ニムロド遠征」
石炭を温存するため、シャクルトンがニュージーランド政府とユニオン汽船会社に費用負担を了解させた後、南極に向けて1,650マイルを蒸気船「クーニャ号」に曳航させた。スコットとの約束に従ってロス棚氷の東部へ向かい、1908年1月21日に到着した。バリア・インレットは大きな湾を形成するように広がっており、数百頭のクジラがいたことから、クジラ湾と名付けられた。そこの氷は崩れそうな状態であり、安全な基地を設営するのは不可能であった。さらにエドワード7世半島で投錨地を探したが同様に無理だと判ったことから、シャクルトンはスコットとの約束を破りマクマード湾へ向かうことを余儀なくされた。この決断は、2等航海士のアーサー・ハーボードによれば、氷圧の困難さ、石炭の不足、近くには他に既知の基地がないことを踏まえた「常識に従った」ものであった。
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