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松平治郷(1751~1818)

 藩政改革
1767年、父の隠居により家督を継いだ。10代将軍・徳川家治からの偏諱と祖父・宣維の初名「直郷」の1字とにより治郷と名乗る。この頃、松江藩は財政が破綻しており、周囲では「雲州様は恐らく滅亡するだろう」と囁かれるほどであった。その治郷は、家老の朝日茂保と共に藩政改革に乗り出し、積極的な農業政策の他に治水工事を行い、木綿や朝鮮人参、楮、櫨などの商品価値の高い特産品を栽培することで財政再建を試みた。しかしその反面で厳しい政策が行なわれ、それまでの借金を全て棒引き、藩札の使用禁止、厳しい倹約令、村役人などの特権行使の停止、年貢の徴収を四公六民から七公三民にするなどとした。これらの倹約、引き締め政策を踏まえ、1778年に井上恵助による防砂林事業が完成、1785年の清原太兵衛による佐陀川の治水事業も完了し、これらの政策で藩の財政改革は成功した。これにより空になっていた藩の金蔵に多くの金が蓄えられたと言われる。

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ベルンハルト・リーマン(1826~1866)

リーマン面 数学、特に複素解析においてリーマン面とは、連結な複素1次元の複素多様体のことである。ベルンハルト・リーマンにちなんで名付けられた。リーマン面は、複素平面を変形したものと考えられる。各点の近くで局所的には、複素平面の部分に似ているが、大域的位相は大きく異なり得る。例えば、球面、トーラス、または互いに糊付けした二枚の面のように見え得る。

エイブラハム・ダービー1世(1678~1717)

ダービー父子~父、ダービー1世~ 父のダービーはブルストルで鋳物製造を行っていたが、砂型鋳物製造の特許を取り、事業を安定させ、1709年に石炭をコークス化して燃料として用い、鉄鉱石を熔解する高炉を成功させた。コークスは石炭を蒸し焼きにしてつくり、香炉の中で鉄鉱石と一緒に入れて燃やすと、不純物を除去することができる。また高炉はつねに高温を保たなければならないが、そのために従来は「ふいご」が使われていたがダービーは送風シリンダーを考案し、その問題も解決した。こうして本格的な製鉄業を興し、鍋などの生活用具からニューコメンの蒸気機関用の部品まで製造し、事業を成功させた。

度会家行(1256~1351)

伊勢神道 鎌倉時代末期に、それまでの両部神道や山王神道などの本地垂迹説とは逆に、反本地垂迹説が勃興するようになり、その影響で、伊勢神宮の外宮の神官である度会家行によって、伊勢神道が唱えられた。伊勢神道は、『神道五部書』を根本経典とする。また、儒教・道教思想の要素も含まれた最初の神道理論とされる。伊勢神道は、元寇により日本が神国であると再認識し、日本における唯一絶対の宗教は神道であるとする勢力から支持され発展した。日本書紀によると、倭姫命は11代垂仁天皇の皇女で、天照大神の御杖代として各地を巡行し、伊勢の地で神宮を創祀した。「神道五部書」と呼ばれる伊勢神道の根本史料の一つ『倭姫命世記』に、度会郡を中心とする倭姫命の足跡が数多く記されている。