漁師から科学者へ
10歳の時には漁師の父を助けて働いていた。彼は学ぶことを好んでおり、知り合いに本を借りて独学をしていたが、付近に学校が無かったため本格教育を受けることができなかった。19歳になった1731年、友人のつてでモスクワのスラブギリシャラテンアカデミーに入学する。彼は1日わずか3コペイカで過ごしながらも猛勉強し、12年の課程を学年トップの成績でわずか5年で修了した。その後1年間キエフ・モヒーラ・アカデミーで学ぶが、教育レベルに満足できずにモスクワに戻った。1736年、彼は奨学金を得てサンクトペテルブルクに行った。彼はそこでも物理学を始めとして抜群の成績を残した。彼は言語学にも興味を持ち、フランス語とドイツ語も学んだ。その成果が認められ、ドイツの大学で学ぶための2年分の奨学金を獲得した。
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