回民蜂起~グレート・ゲーム~
当時、イギリス帝国とロシア帝国は中央アジアの支配を巡って角逐を繰り広げており、ヤクブ・ベクはイギリス領インドから大量の武器援助を受け、1874年にはイギリスと条約を結んでいる。英国はカシュガルに領事を常駐させた。この条約でヤクブ・ベクはカシュガルとヤルカンドのアミールと称したので、英語ではヤクブ・ベクの王国をカシュガル王国と呼ぶ。彼はまた西トルキスタンのブハラ・ハン国やトルコのオスマン帝国とも通交した。特にオスマン帝国とは、ヤクブ・ベクの政権に対するオスマン帝国の宗主権を認める代わりに武器の援助や軍事顧問の派遣を求める交渉を行い、オスマン帝国から正式にアミールに任じられるなどの一定の成果を得た。
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