駐日米国公使としての活動
前任者のタウンゼント・ハリスと同様、当初は欧州諸国とは異なる独自外交を行った。生麦事件後、イギリス・フランスが武力を背景に幕府と交渉を行ったが、プルインはこれに対して批判的であった。しかし、その砲艦外交が効果をあげるのを見たこと、さらに自国の軍用帆船ワイオミングが日本に派遣されてきたことから、徐々に英仏との協調路線に転換していく。アメリカにとって、プルインの日本における最大の功績は下関戦争後の交渉であった。下関海峡で米国商船が砲撃されたことを知ると、プルインはワイオミングに報復攻撃を命じたが、これは日本に対する西欧諸国の最初の攻撃であった。四国艦隊下関砲撃事件の際、アメリカは適切な蒸気軍艦を日本近海に有していなかったため、蒸気商船タ・キアンをチャーターし、武装させて攻撃に参加させた。江戸幕府との交渉はアメリカにとって極めて成功であったと認識されている。
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