上杉禅秀の乱
鎌倉府は南北朝時代に室町幕府が関東統治のために設置した機関で、鎌倉公方は関東管領によって補佐され、管領職は上杉氏による世襲状態であった。1409年に3代鎌倉公方足利満兼が死去すると満兼の子の持氏が新公方となった。当初、山内上杉家の上杉憲定が関東管領の地位にあったが、1411年に憲定が失脚すると、代わりに山内上杉家と対立関係にあった犬懸上杉家の上杉氏憲が関東管領に就任した。氏憲は持氏の叔父にあたる足利満隆、満隆の養子で持氏の弟である足利持仲らと接近して若い持氏に代わって鎌倉府の実権を掌握しようとした。
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