平国香の嫡男
939年12月には将門が「新皇」を自称する。940年、常陸国北部にて5000の兵を率いて貞盛、為憲らの捜索が行なわれるも当人らは発見出来ず、代わりに貞盛と源扶の妻が捕らえられたのみで、将門は彼女らを放免して捜索を中断し兵を各地に帰した。これを知った貞盛らは、母方の叔父の藤原秀郷の協力を得て4000余の兵を集めると将門を攻め、迎撃に来た将門勢を破り次第に追い詰め、2月14日「北山の決戦」にて、ついにこれを討ち取った。将門討伐後の論功行賞では、将門ら謀反人を討つことができたのも、多年の苦難を経て努力した貞盛の為すところも大きいとして、従五位上に叙せられた。
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