亀戸事件
同年9月1日、関東大震災発生時、川合は東京市麻布区により、東京府南葛飾郡亀戸町の自宅に帰る途中母子が家の下敷きになっているのに遭い、母親は助け出せなかったが3人の幼児を救い出し、食べ物を与えたりして一晩下谷区上野公園で抱いて過ごした。ところが、9月3日午後10時過ぎ、亀戸の南葛労働協会本部に、川合らを以前から労働争議で要注意人物として監視していた亀戸警察署の高等係の署員が来て、震災の混乱に乗じ、他の被災者救護に献身していた労働運動活動家らとともに川合を検束、連行。停電のため真暗であった留置場で、川合は革命歌を高唱して気勢をあげており、他の検束者を煽動して騒ぎが大きくなるのを恐れた亀戸署は、近くに駐屯していた軍隊に応援を求めた。9月4日亀戸署の中庭で近衛師団習志野騎兵第13連隊によって他の活動家らとともに銃剣で殺害された。遺体は近くの川原に遺棄・埋葬された。
同年9月1日、関東大震災発生時、川合は東京市麻布区により、東京府南葛飾郡亀戸町の自宅に帰る途中母子が家の下敷きになっているのに遭い、母親は助け出せなかったが3人の幼児を救い出し、食べ物を与えたりして一晩下谷区上野公園で抱いて過ごした。ところが、9月3日午後10時過ぎ、亀戸の南葛労働協会本部に、川合らを以前から労働争議で要注意人物として監視していた亀戸警察署の高等係の署員が来て、震災の混乱に乗じ、他の被災者救護に献身していた労働運動活動家らとともに川合を検束、連行。停電のため真暗であった留置場で、川合は革命歌を高唱して気勢をあげており、他の検束者を煽動して騒ぎが大きくなるのを恐れた亀戸署は、近くに駐屯していた軍隊に応援を求めた。9月4日亀戸署の中庭で近衛師団習志野騎兵第13連隊によって他の活動家らとともに銃剣で殺害された。遺体は近くの川原に遺棄・埋葬された。
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