挙兵
1333年3月11日、博多に到着した武時は鎮西探題に出仕したが、侍所から遅参を非難され、口論となった。13日、武時は挙兵し、博多の所々に火をつけて焼き払った。そして少弐貞経、大友貞宗らに使者を使わし、隠岐を脱出した後醍醐天皇の綸旨を受けているので同調するように告げる。しかし両者の反応は冷たく、少弐貞経は堅粕で菊池の使者を斬り、大友貞宗も使者を斬ろうとして逃走された。武時は鎮西探題に押し寄せ、探題配下と合戦となるが敗れ、子の菊池頼隆以下菊池一族と共に討たれた。享年42。一族200名あまりの首が犬射馬場に懸けられた。
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